このサイトは、蒲田近辺の温泉施設をまとめたサイトです。
ところで「蒲田」というのは、どのあたりのエリアを指すのでしょうか。
じつは歴史の中で「蒲田」の範囲は変わってきています。人によって「蒲田」のイメージが微妙に違うのはそのためでしょう。
このページでは、「蒲田」の歴史とその変遷をご紹介してみたいと思います。
現在「蒲田」が住所につくエリア
まず、現在住所として「蒲田」がつく地域は、「蒲田」「蒲田本町」「西蒲田」「東蒲田」「南蒲田」「新蒲田」の6エリアです。
このように、JR蒲田駅を中心に東西南北に分かれた地域が、住所で言うところの「蒲田」です。
このサイトで取り上げている温泉を重ねてみると、
ゆーシティ蒲田は「蒲田」
蒲田温泉は「蒲田本町」
SPA&HOTEL和、改正湯、はすぬま温泉は「西蒲田」
になりますね。
明治時代より前の「蒲田」
蒲田の歴史は古く、1000年以上昔の文献にも「蒲田」の名称が登場します。
蒲田の名前の由来はいくつか説がありますが、このあたりは沼地で、ガマ(蒲)がたくさん生えていた地域だった、というのが有力です。
古くは「蒲田郷」と呼ばれ、女塚村・御園村・蒲田新宿村などが含まれていたそうです。
女塚や御園、新宿は小学校や中学校の名前として今も残っていますね。
明治時代~大正時代の「蒲田」
1889年、明治の大合併といわれる市町村制度の変更が行われます。
この制度によって、現在のJR蒲田駅周辺から、多摩川沿いの村の一部(東急多摩川線の鵜の木駅あたりまで)が合併し、「蒲田村」が発足しました。
現在の武蔵新田や下丸子も当時は「蒲田村」に含まれたのです。
その後、1922年(大正11年)の制度変革で、蒲田村は「蒲田町」になりました。
昭和~戦前~戦後の「蒲田」
1932年(昭和7年)、それまで15区だった東京市は新たに20区をつくり、東京市は35区となりました。
このとき、「蒲田町」は、羽田町・矢口町・六郷町と合併して「蒲田区」となります。
「蒲田」が最も広いエリアだったのはこの頃です。
戦後、「蒲田区」と「大森区」が合併して、現在の「大田区」になりました。
オレンジの部分が「蒲田区」、緑の部分が「大森区」だった場所です。
現在も残る「蒲田」の地名を重ねてみると、
広がっていた「蒲田」の範囲は消滅し、昔からの小さな町名として、赤く塗った6エリアが「蒲田」として残ったわけです。
「蒲田」と聞いて連想することの多い下町の工場やタイヤ公園も、住所でいうと蒲田ではないのですが、「旧蒲田区」を重ねてみると、確かに蒲田だったのだとわかりますね。
蒲田と温泉
大田区には温泉が多く点在していますが、特に多いのがこの蒲田を中心とした地域です。
旧蒲田地区のエリアは現在も銭湯が多く残っており、公衆浴場文化が深く根付いていると感じます。
蒲田を訪れたら、ぜひ近くの温泉を探して、訪ねてみてくださいね。